宝持寺

渡辺綱 わたなべのつな

渡辺綱(わたなべのつな)は平安時代中期の武将で英雄。

嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもとのつな)。
源宛の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。

摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現・大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべのつな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべのげんじつな)と称し、渡辺(渡部)氏の祖となる。

源頼光の四天王の筆頭として剛勇で知られ、頼光に従い大江山の酒呑童子を退治、都の一条戻橋で付近に出没する鬼婆の腕を切り落とした逸話が有名。

渡辺綱と宝持寺

宝持寺は、およそ1000年前の平安時代中期に、渡辺綱が祖父と父の追善のために開基したと伝えられる。

寺名は、渡辺綱の法名「美源院殿大捻英綱大禅定門」から字をいただき、美源院宝持寺と号することになった。

宝持寺には、渡辺綱ゆかりの太刀と、法名の位牌が残されている。